香しきチラ裏

香しきチラ裏~オタクで頭が発酵した人間が語るだけの簡単なお仕事

2012年5月22日火曜日

社会とのかかわりかた

今日ローカルな新聞を作っている人が話をききたいというので小一時間話をしたのだが、
少し熱くなってしまったことがある。
あなたは何をしている人でどうしていきたいのかというふうにきかれたのだが、求める答えが私から得られなかったようで、あなたのような人間のことは記事にできないと帰って行った。
その時のことなのだが、
まずなぜ美術の大学に入ったのかと聞かれ、私は少し考えたすえ、
「絵がうまくなりたかったから絵の勉強をしたいと思って入った」と答えた。
記者の方は少し怪訝な顔をして(おそらく画家になりたいからとかいう答えを求めていたのだろう)
では実際大学に入ってうまくなったのかと聞かれた。
だから私は、「実際うまくなるために絵のことを学んでいくと、テクニックとかスキルとかというものは上がっていくものだということがわかったけれど、別に自分は現実にあるものを写真のように描きたいわけではないし、つまりうまいということが自分のなかでそんなに重要ではないのだなということがわかった。それよりも絵の、他者にみえる最後のひとつの膜よりもそこまでにいたるプロセスに興味があるのだと思う。」
そこですでに良く分からないというような顔をして、何が描きたいのかときかれた。
だから今しゃべったじゃないかと思いつつも、もしやモチーフのことかと考え、
「その時に描きたいと思ったものを描きたい。描く対象は自分にとっては重要ではないから。
そこに至る経緯が大事だと思うので今はいろいろなことを経験したい。」
というと、では別に絵でなくてもいいのかといわれたので、
なんでそうなるんだ絵が描きたいと言ったばかりだろうと思いつつも、
「いや、絵が描きたいし、その絵を描くためにいろいろ経験したいんだ」そういうと
あなたのように何が描きたいのかも分からなくて、将来的に何がしたいのかも考えてないような人間のことは記事にできないなといわれた。
まず私は、私のことを記事にするつもりだったのかということをそのとき知り、(友人にインタビューして写真を撮っていたので、ついでに世間話的に話がしたいものだと思っていた)
いやむしろしてくれないほうがありがたいのだが何も考えていないといわれたことに対して、
それだけは訂正しなければと思っていろいろ語ったら、
じゃあ、公募展に応募して入選したことがあるのか。とか絵を売るためにどんな努力をしたのかとか。実績についてきかれた。
「別に人に認められたくて描いているわけではないし(理解してくれる人がいるのはすごくうれしいが)
入選すればいい絵が描けるとも思っていない。売れる絵が描きたいわけではないし、絵でご飯が食べたいのではなくてご飯を食べて絵が描きたいんだ。(死なないために)」
そうしたら趣味なのねといわれたので、
「これは趣味じゃない。趣味で絵を描くといろいろなことを拘束される。時間だったり材料だったり。
はたから見れば似たようなものだろうけど本人にとっては全然違うんだ。よく絵の仕事として先生があげられるけど、教えることと描くことは全く違う。絵の仕事をしたいのではなくて自分が絵を描きたいんだ」
私にとっての趣味は、コピー用紙に漫画を描くことだ。人生の優先順位が違う。
絵が描きたくて、そのためにはどうやって生活すればいいのかといろいろ考えているのに他人に何も考えていないといわれると、存外腹が立つものだと知った。
何がしたいときかれて絵が描きたいと答えているのに、それを人に伝えるのはすごく難しいと
思った。別に絵を描いて誰かに褒められたいわけじゃあないんだよ、やめろといわれてやめられなかったわけだし。描いててヒトリヨガリにならないために人にみせたいと思うだけで(別の視点による新しい展開のために)、コミュニケーションツールだとも思っていない。
だいたい他者というのは本当のところ何を考えているか知ることもできないブラックボックスじゃないか。
そんな風にグチグチと考えていたら、昔現代美術家の手塚愛子さんがいっていた
「アートってディスコミュニケーションじゃないですか!」
が、ああこういうことかと思いだした。(それであっているかは謎だが)
最近御恩のある方にいわれすとんと腑に落ちたことと考え合わせると、
まず、描きたいものを描くこと→次に観る人のこと→自分も周りも幸せになること
えー、描きたいことが一番にあって観る人がいてそれがまわりに及ぼす影響がなにか。
絵を描いていけばおそらく公共性とか社会との接し方みたいなことの問題がでてくるだろうけど。
まずは描くことが大事で、描き続けることによってしかみえてこないことも多いと思う。
アートと社会とのかかわり方は次の課題だな。
ああ、たしかに何がしたいかは考えてないになるのか。